空気が読めるかどうかは先天的なもので脳科学の分野なのでどうしようもない
たしかQuoraの内容だったと思いますが、「空気を読む」ということに関して、私が印象に残っている投稿があります。
大学生時代に一般教養で「心理学」をとる機会がありまして、そこで心理学の先生に中学時代のその話をして、「周りの空気を読んで状況判断能力を鍛えるにはどのような心理的トレーニングが有効ですか?」などとバカ正直に質問したことがあります。思えば随分と単純だったものですが。
その時心理学の教官からこういわれました
要領の良い悪いとか状況判断能力が優れている劣っているというのは生まれつき・先天的なもので、これは脳の感情などを司る前頭葉というところの問題。
脳科学の分野に属する問題ですから、物忘れや運動神経などに個人差があるのと同じで本人の努力で治せるものじゃない。
臨床的には
頭部外傷や
脳卒中後の患者さん
にみられ、最近では社会的認知能力などとも呼ばれ、身体的な麻痺は改善しても、社会的認知能力が問題で職場へ復帰できない患者が少なくありません。
残念ですが「そういうものだ」と思って諦めなさい
みたいなことを真顔で言われました。
状況判断能力や要領の良い悪いは選定的なもので、改善することはない というのが、上記の投稿の要点でした。
エンジニアの方々と仕事をしているとき、アルゴリズムを組み立てる能力やコンピューターアーキテクチャに対する深い造詣は尊敬に値します。
ですが、状況に応じた言葉選びや、言い回しについては苦手とする印象が強いですし、先ほどの知見から「空気を読む力」は選定的なものであるため変えることができません。
エンジニアという職種においては、 使用している言葉から思考を推測することは必須の能力といえます。
接頭辞
「ここだけの話」+ <秘匿情報>を持ち出す : 「仲良くしてね」というあからさまなメッセージ
「ここだけの話」は「仲良くしてね」と言い換えることができる というのはあまりにも有名な話です。
自分に好感を持ってほしい、興味を持ってほしいとなれば相手を惹きつける何かが必要となります。
近づきたい、仲良くなりたい人が見つかれば、価値ある情報を提供して特別扱いをして距離を縮めていきます。
プライベートを打ち明けたり、秘密を共有している気にさせるので、親しみを覚えるでしょう。
2人の間の距離がぐっと縮まっていきます。
https://www.ningenkankeitukare.com/entry/108.html
そのほかにも様々な情報がありますが「ここだけの話」の内容は付加情報であり、言わなくてもよい内容です。
それでも「ここだけの話」とリスクを冒して秘匿情報を話題を持ち出すのは、仲良くしたいという動機が働いています。
ところが、「ここだけの話」という前置は、知らない人はいないレベルの口癖です。
このことを考慮すると 「ここだけの話」というのは「仲良くしてね」という意図的なメッセージであることがわかると思います。
「えーと」「あのー」 : 有声休止
話者は「考えるまでの時間を稼ぐ」という目的で「えーと」と使います。
とくに意味のないこのような発話を「有声休止」といいます。有声休止には二つの機能があると言われています。
一つは対人的機能です。おしゃべりしているとき,続く言葉や文がすぐ出てこないことがありますよね。
サックス,シェグロフとジェファーソン(1974)が発見した「会話の順番取りシステム」という会話のルールによると,
文末などの発話の区切りで黙ってしまうと(この現象を「無声休止」といいます)他の人が話し出すきっかけをつくってしまい、まだ話したいあなたから発言権が移行する可能性が生じます。
そうならないためには話し続ければよいのですが, すぐには考えがまとまらない 。そこであなたは発言権を維持するために有声休止を発するのです
もう一つは認知的機能です。 有声休止には考えをまとめる補助的役割がある, というものです。
授業での発表にみられる有声休止は,こちらでしょう。
発表ではあなたひとりが話すことを許されていますから,黙っていても誰も口をはさまないと思います。
したがって無声休止でも,つまり黙って考えていてもよいはずなのですが,なぜかたびたび有声休止が出てしまいます。
ディアズとバーク(1992)には,課題の困難度の上昇と,無声から有声への休止の変化の相関関係が示されています。
あなたは「えーと」と声に出さないと,うまく考えがまとまらない。
それで有声休止を発しているというわけです。
https://psych.or.jp/wp-content/uploads/old/53-32.pdf
つまり、 「えーっと」という有声休止を発している人は、「脳の回転が遅い、大量の情報に、脳がオーバーフローしている」のどちらかの事態に直面している ということがわかります。
会議の中で、自分の味方陣営が有声休止を多用している時は早めに助太刀に入りましょう。
ちなみに、このような優声休止のことを、「フィラー」とも呼びます。
フィラーのタイミングのアンケートを取った際「沈黙した時」「発言内容や言葉を思い出すとき」が挙げられています。
まぁ:納得はしていない、めんどくさがり,妥協
有声休止の「まぁ」は妥協を表している。
山根(2002)によると,マー型とは,「『ま(ー)』『まーね』など,『ま』の長短,『マー』の後に助詞が付加されたもの。
『まあ きれい』のように感動や驚きを表す『まあ』は含めない」と定義されている。
富阪(2002)は「『まー』(富阪は「まあ」と表示)を用いた発話は聞き手に対して押し付けがましい印象を与えない。
それを唯一のものとして主張するのではなく,
そのような主張も可能性の一つとして存在するものとみなして提示するからである」
小出(2009)は,「ま(ー)」について注釈,例示,見解表示,発話ポイント,引用,談話の区切りに用法区分を行った。これらの内容が話されるときに「ま(ー)」が出現する。
https://www.tiu.ac.jp/about/research_promotion/kiyou/pdf/18_clinicalpsychology_3.pdf
「本当は納得していないけど、争いごとを避けたいから肯定しておくか」といった心理が働いた結果、「まぁ…」と言ってしまいます。
『この(ー)』『その(ー)』『あの(ー)』」 : 物忘れ
「この」「あの」「その」はまとめてコソア型と呼ばれる。
コソア型とは,「人や物,直前の発話で述べられたことを支持する以外に用いられる『この(ー)』『その(ー)』『あの(ー)』」であり,「『あのね』など助詞が付加されたものも含む」(
コソア型は名前だけ忘れた時
この心的操作は具体的には,名前の検索と,適切な表現の検討に二分される。
(中略)名前の検索とは簡単に言うと,モノ自体はわかっているが,モノの名前が思い出せないと言う場合の心的操作である。
https://www.tiu.ac.jp/about/research_promotion/kiyou/pdf/18_clinicalpsychology_3.pdf
平和主義:ちょっと
「ちょっと」には「重く受け止めるな」という意味が込められる。
「ちょっと」を付けるとクッションの役目をして、棘のないやんわりとした表現にすることができ、
本音をはぐらかすことができます。
https://newstyle.link/category58/entry2831.html
「ちょっと」という口癖から性格が分かる心理学 より
ストレートに「遊びに行ってくる」と言いますと、
直球ですから、かなりのインパクトがあります。
「ちょっと遊びに行ってくる」と言いますと、やんわりと聞こえて、重く受け取らない
「つまり」「要するに」を使う人は優先順位をつけ、要点をまとめる力がある
「つまり」「要するに」を適切な箇所で使いない場合、物事の本質をつかむことができていない と考えてよいと思います。
つまりが口癖の人の性格の1つは、「理論的な人」という事です。
話が一度に詰まってしまい進みそうにもなくなった時に一度話を切り直してくれる作用が、この「つまり」にはあります。
ですから、話を解りやすくまとめる、というニュアンスがある訳です。
http://mechality.com/kutiguse-shinri-tumari/
これは私の経験談になってしまうのですが、社会人二年目の同期で報告が苦手な方がいました。
その方は話をするときにストーリーの要点と要点をつなげることはせず、その代わりにこれまでの経験を線をなぞるイメージで報告してます。
その際には「つまり」や「要するに」などの言葉が入らず、すべての情報を余すことなく伝えようとしてました。
適切な箇所で要約ができない理由は 何が大事なことかわからない、故に優先順位をつけれない ことが原因です。
その方は「安心安全な製品を作る」「そのために上長に納得してもらい、実行に移す権限をもらう」ことを理解できず、それを元にした優先順位付けができませんでした。
会話の内容に「つまり」「要するに」などを適切に使えるかどうかは、その人の「本質を見極める力」を見抜く情報源になります。
っていうか:自分の話をしたい
「っていうか」という言葉は他の人の話を完全に否定して、自分の言いたいことを言う時に使われる言葉だからです。
「っていうか」と言った時の話の流れをよく観察してみてください。
その前の他者の意見など、全く聞いておらず、何のつながりもない状態で、自分の意見をいきなり述べ始めることに気づくはずです。
from https://newstyle.link/category58/entry2022.html
主語
「私」 : 自己中心的な考え方。個人主義。
「私」を使用することは、 自分自身に焦点を当て、自分のニーズを優先している ことを示します。
私はいい気分です。
私は仕事が大好きです。
私は給料が大好きです。
ちなみに、これらの主語は環境によって容易に変化します。チームの中の立ち位置や目的、雰囲気で一人称が変わる時こそ注意して聞いてみてください。
また、 「私」の高頻度で使用するときは会話の「ボール」を意識している/権力意識が強いという報告もあります。
会話のボールを意識する人
権力者
正直者
これらの要素を重要視します。
「私」という言葉をどのくらいの頻度で言うか考えていますか?
Pennebaker 博士の研究によると、代名詞「I」の使用は、あなたが思っている以上にあなたについて多くを語っていることが示唆されています。
Pennebaker 博士によると、頻繁に「I」を使用する人は、無意識のうちに、自分が話している (または書いている) 相手に従属していると報告されました。
パワフルで自信に満ちた人以外に、「I」を使わない人はいますか? 真実を隠している人々。一人称代名詞を避けることは距離を置くことです。
主語が他人 : 他者が中心の考え方。チームワーク主義。
他の人に注目するということは、彼女が他の人を優先していることを示しています。またはとても思いやりがあるかもしれません。
サトウさんは素晴らしいです。
新しい上司はよいですね。
皆さん優しそうです。
モノが主語 : 成果主義。
オブジェクト語は、オブジェクトへの焦点を示します。何か問題があるのかもしれないし、話者がただのテクノロジーオタクなのかもしれません。
コンピューターはよいですね。
佐藤さんが作ったコンピューターはハイテクですね。
トイレに行きたいです。
我々
「我々」という言葉を頻繁に使う人は、仲間意識を大切にする人です。
私たち
逆に「私たち」という言葉をよく使う人は、良好な対人関係を築きやすく、まわりとうまくやっていける人が多い。博士によると、一人称単数形は、自己と他者をはっきりと区別して、自分が確固たる存在であることを示し、一人称複数形は、自己が社会やグループの一部であることを表すので、その違いなのではないかということだ。
主語が変わる : 虚偽の可能性
主語がコロコロ変わる場合、虚偽の可能性が高いです。
「私は店に行きました…そして彼を見て…そして箱を手に取りました」
会話スピード
話す速度が変わる:誠意のなさ
ある人が真の誠意を話すとき、その人は話す速度を変えることはありません。
通常の会話スピードから変化した場合、言葉の重みを意図的に操っている可能性が高いです。
https://www.youtube.com/watch?v=Q3qinDH_3HE&t=33s
ブレア首相が何度も立ち止まり、話す速度が通常よりもはるかに遅いことに注目してください。
誰かが真の誠意を示しているとき、その人は通常、話す速度をあまり変えません。
彼のゆっくりした話し方と長い間の間合いは、おそらく彼が自分の誠実さを誇張しようとしていること、そして結局ダイアナ妃の死が彼にそれほど影響を与えていなかったことを示しているのかもしれない。
早口 : 緊張 or 不誠実
スピーチの場合
- 2012 年の研究では、講演者が聴衆の前に立つと、アドレナリンが体内を駆け巡り、時間の経験が歪められると説明されています。時間が速くなったという感覚が彼らを加速させます。
謝罪やコメント
- コメントや謝罪を急いで行うと、その意味や誠実さが失われます。不適切なタイミングで早口で話すことは、その人が社交不安、消極的、または信念の欠如などの問題を抱えていることを示唆しています2。
話を遮る : 「あなたは重要ではない」というメッセージ
パーティーに参加しているときに、あなたの耳を塞ぐような話し方をする人は、あなたが重要ではないことをあなたに知らせていることになります2。