絵心がない人
絵心がない理由は、以下の理由が考えられる。
「ありのまま」を見れない人
- 言語として解釈してしまう人
from https://diamond.jp/articles/-/313069
そもそも、絵を描くためには次の三つのプロセスが必要である。
書く対象を観察し、何を書くかを優先順位をつける
書く対象を正確に観察する
観察した結果をイメージとして記憶する
頭のイメージをペンでなぞる
絵を描くのが下手な人はどれかが欠けているのだが、順番に説明する
ありのままを見れない:観察プロセスでの問題
絵心がない理由の一つは観察力にあげられる。
ここでの観察力とは「見たままをそのまま絵に書くために、特徴を覚えておくこと」である。
ここで自分の解釈を加えてしまうと、少なくともトレースとしては失敗してしまう可能性がたかいのです。
どちらの絵を描くときも、僕は鏡を使って自分の顔を見ていたわけだが、左側の絵では大して視覚を使っていないことがわかる。たとえば、メガネが真っ黒に塗られているが、それは視覚の代わりに「メガネ=黒縁」という「理解」を使ってしまっているからだ。しかし、ワークショップで学んだあとに、メガネをよく観察してみると、一部で光が反射していることに気づいた。その結果、右側の絵ではメガネに白い部分が入っている。
「言語として解釈してしまう」とは?
じーっと漢字を眺めていると、それが見知らぬ図形のように見えてくることがある。いつもは一定の意味を持っているように思えた記号から、急に意味だけが剝がれ落ち、奇妙な模様にしか見えなくなる──そんな経験は誰にもあるはずだ。
これは脳のモードの切り替わりとして理解できる。ふだん僕たちが文字に触れるときには、言語脳が前面に出ている。しかし、これがふとしたことでイメージ脳に切り替わると、文字は意味を失い、不思議な線の集まりに見えてきてしまうのである。そして、これこそが「ありのまま」に見ている状態である。
同様のことができるかどうかが、絵を描くことができる人かそうでないかの差である。
正確なデッサンができる人は、イメージ脳を維持し、見えているとおりにそれを写し取っているのである。
「見えているとおりに描く」というのは思いのほか難しい。多くの人は、絵を描いているときにも言語脳に切り替わり、「あるがままに見る」のを邪魔されてしまう。
別の言葉を使うと、「三次元にいる物体を二次元に移すことが困難であると感じてしまったため、言葉に直してしまった」
記憶力がない
頭の中のイメージを、絵にかくためにはそのイメージを正確に記憶する必要があるが、絵が描けない人の中には、このプロセスに問題がある人もいる。
この記事ではとても良い具体例がある。
大量の水をスプーンでちまちま移し替えていると嫌になっちゃうけど、大きなバケツでパッと移せるようになると効率がいい、みたいな感じで。当然、効率がいいほうが数をこなせて上達も早い。
from https://bashideza.com/drawing-memory/
授業中に黒板を移すのが遅い人と同じです。
一度に見たイメージを大量に覚えておくことで、作業者は何度もデッサン対象を見る必要がないのです。
このような脳に存在する作業スペースをワーキングメモリーと言います。
ワーキングメモリーが枯渇している作業者は観察によって得た大量の情報をすべて覚えることができず、絵に反映する前に別の記憶で上書きされてしまうのです。